戦後の取引所変遷史~第1章先 物 新 報

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戦後の取引所変遷史~第1章

商品取引所と証券取引所の逆転

昭和20年8月、日本はポツダム宣言を受諾し翌9月には降伏文書に調印した。
今回から取引所変遷史として、戦後に焦点を当て商品取引所の歴史を紹介する。

まず、日本の取引所については江戸時代から明治時代まで、常に商品取引所が証券取引所より先行してきた。ところが戦時統制の影響で、昭和の時代に立場が逆転したのである。その理由は米穀商品取引所の閉鎖にあった。戦中の14年4月に、米穀配給統制が発布され、全国に19カ所あった米穀取引所と21カ所の正米市場は閉鎖され、国策会社である「日本米穀株式会社」に統合された。

その後コメの統制は現在に至るまで継続しており、米穀取引所は以後存在していない。またその他の商品取引所も、昭和12年の日中戦争勃発以後、戦時統制によってあらゆる物資の生産・配給・価格が国家に統制強化され、次々に閉鎖されていった。商品取引所が、戦後に証券取引所の後塵を拝したのはこうした背景がある。

一方証券市場は、戦時中にぷっつり途絶えた商品先物市場と逆に、形を変えながら戦時中も維持されてきた。
経過をたどると、
15年8月に東株取引員組合が中心となり、株価の安定工作を目的に資本金2000万円で「日本証券投資株式会社」を設立

16年3月には政府により資本金5000万円で「日本協同証券株式会社」が設立される。これは日本興業銀行を中心とする株価維持のための国家的機関で、「日本証券株式会社」という名称のもとに準備が進められたもので、狙いは生産力拡充のための資金調達であり、銀行・信託会社・生保会社・取引所と取引員組合が株式を引き受けた

17年3月には「戦時金融金庫」を政府が設立し、「日本協同証券株式会社」に吸収して有価証券の市場安定に努めた

18年7月には特殊法人「日本証券取引所」を資本金2億円(政府出資5000万円)で発足した

この後20年8月9日のポツダム宣言受諾により全国いっせいに休場となるが、23年4月に占領軍司令部の示唆に従い「証券取引所法」を起案し、国会通過後4月13日に公布されたのである。

(引用・参考文献)日本経済を創る人々(経済ルック出版)

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