2011年02月先 物 新 報

先 物 新 報

商品先物業界の専門紙記者が、業界ニュースを中心に関連情報をお届けします。
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国内6大学で学部対象の寄附講義を開設

取引所トップら現場サイドも積極的にサポート

東京工業品取引所、東京穀物商品取引所、関西商品取引所は2011年度に国内の6大学で商品先物取引に関する寄附講義を共同で行うと、25日発表した。

商品先物取引の普及・啓発活動の一環として行うもので、従来のように学者の派遣による単発講義ではなく、今回は半年間の長期にわたり計15回の講義を体系的に進め、取引所の社長及び理事長や取引所の実務担当者らも講義を受け持つ形式を採る。

講義名は「現代商品市場論」で、商品先物取引を中心に各種デリバティブ取引の基本的な仕組みや各商品市場の概要に加え、資産運用及びリスク管理に係る基礎知識を習得できるようカリキュラムを組む方針。学部生が対象だが、大学によっては一部を一般公開するよう準備を進めている。

講義の開設大学は、4~9月の前期が
・立正大経済学部
・明治学院大経済学部
・東京経済大経済学部

で、10~翌3月の後期が
・名古屋大経済学部
・神戸大経済学部
・関西学院大経済学部

となる。

講師は先物取引に造詣が深い
・名古屋大経済学部及び大学院経済学部研究科の家森信善教授
・立正大経済学部及び大学院経済学研究科の林康史教授

のほか、取引所関係からは
・東京工業品取引所の小野里光博執行役
・同取引所傘下で市場構造研究所の山岡博士部長
・同取引所経営企画部の安田毅史部長
・東京穀物商品取引所の渡辺好明社長
・同取引所の伊藤国光執行役員
・同取引所経営企画部の山下雅弘部長
・関西商品取引所の岡本安明理事長

が、それぞれ担当講座の教壇に立つ。

25日に行われた記者会見では各取引所社長のほか林教授が出席し、それぞれ意気込みを語った。詳細は以下のとおり。

東工取・江崎格社長
「講座には合計でおよそ1000名が受講できると思うが、従来寄附講義は大学院以上の研究者を対象に行ってきた。今回は学部学生が対象で、社会人になる前にリスクへの向い方を学べるのは財産だ。日本の市場は低迷しているが、経済規模を考えればもっと出来高が増えてもいい。個人だけでなく銀行やファンドなど幅広い参加者に入ってもらいたいが、法的な規制が足枷となっている部分もあり、折に触れて主務省には規制の見直しを要望している状況だ」

東穀取・渡辺好明社長
「昭和15年から70年間、コメ先物取引が行われなかったことで、先物に対するエネルギー、理解力、行動力が弱まっている。しかし潜在的な力は大変なものがあり、日本人が築き上げたものを理解してもらえるよう室町時代から江戸時代にかけて、さらに大阪でデリバティブ取引、江戸で現物取引がそれぞれ発展したあたりを観点に講義するつもりだ。明治時代に一時期先物市場が閉鎖され、かなりの混乱が生じてすぐに再開されたことがあったが、現在もこの混乱期に相当する。若い人たちにしっかりとつたえていくのが、取引所トップの使命だ」

関西取・岡本安明理事長
「常々若い世代に先物市場の正しい知識を伝える機会が必要だと思っていた。大阪商人の知恵が生んだ先物市場の歴史を伝えたい。今回だけでなく、その次からも多くの大学から声がかかるようになって欲しい」

立正大・林教授
「通常大学で行われている金融論などでは、時間的な問題もあり商品にまで触れる余裕がない。さらに商品先物について理解している教授も少ないが、今回は専門家と協力して行うのでやりやすい。市場機能の重要性を改めて伝えたい」

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商品取引所業界戦後史(1)~金上場時までの歩み

序文

日本の商品取引所制度は、江戸時代以来280年の年輪を経て構築された世界に冠たる制度である。
世界的にみれば1531年、ベルギーのアントワープで、世界で最初の商品取引所が設立されたとされている。
現在では米国や中国の発展が目ざましいが、これらは日本の制度もかなり参考にして発展したといわれている。

第二次世界大戦後の日本では、昭和25年(1950年)8月5日の商品取引所法公布により各地に商品先物取引所が設立されたが、現在は3カ所のみと減少の一途を辿っている。

商品取引所は、マックス・ウェーバーの言葉を借りれば「社会組織がどう変わろうとも厳密な社会主義的なものとならないかぎり、どうしても欠くことのできない制度の一つ」で、時に消長はあっても、ほとんど中断されることなく有効に機能してきた。

日本では、明治維新の混乱期のごく一時期と、第二次世界大戦の戦中戦後の統制時代を除き、つねに経済の繁栄を担い機能してきた。

戦後日本の商品取引所業界の歩み

大戦後の日本の商品取引所は、昭和24年、諸物資の統制撤廃が進行する中で、GHQの「大阪綿業取引所設立に関する提案の件」と題する文書により促され、翌年8月の商品取引所法制定により、まず大阪化学繊維取引所が設立された。

続いて昭和26年前半にかけて繊維、繭糸関係の各取引所設立され、翌27年前半には砂糖、ゴムの各取引所が、後半には各穀物取引所がそれぞれ設立された。以下、その後を年代別に追ってみる。

【草創期】(昭和25年~29年)
(1)商品取引所法公布(25.8.5)により、各商品取引所が相次ぎ設立される。
(2)商品外務員制度の導入(27.4.12)により、「専業型商品仲買人」が発生。
(3)商品取引所の設立について、登録制から許可制となる(29.5.10)。

【第1次発展期】(昭和30年~39年)
(1)神武景気・岩戸景気の波に乗り、専業型商品仲買人の規模、数とも拡大し、商品先物取引が全国に拡大普及する。
(2)単品商品仲買人が複数商品の商品仲買人へと転換し、業容の拡大が進行する。

【第1次調整期】(昭和40年~45年)
(1)昭和30年代の拡大成長の歪み是正のため、主務省局長通達による「全国的凍結規制」が行われ、調整期に入る。
(2)調整期に対応し、全国の商品仲買人が結束して「全仲連」を結成(40.9.27)する。
(3)委託者保護を中心とする商品取引所法の大幅改正が行われる(42.7.29公布)。
(4)改正法により、受託業務が登録制から許可制となり、従来の商品仲買人が「商品取引員」へと脱皮する前の、3年間の経過期間内に、いわゆる「許可前夜の混乱」が惹起する。

【第2次発展期】(昭和46年~50年)
(1)改正法に基づく商品取引員が誕生(46.1.25)し、秩序が回復する。全仲連が「全協連」と改称(46.1.27)。
(2)秩序の回復により、アウトロー達の香港等海外への脱出が始まり、東南アジア一円で日本商品の賭博的先物取引が発生する。
(3)ニクソンショック(46.8.15)による経済のフロート化や、世界的過剰流動性(46年~48年)、世界的異常気象(48年春~秋)、及び第1次石油ショック(48.10.25)による狂乱物価で商品取引所の出来高が急増する。
(4)金の輸入自由化により、金の私設市場が発生→ブラック市場化する。
(5)商品取引所法の大幅改正(50.7.15)により、商品取引所制度が一段と整備される。
(6)この間、全国商品取引業厚生年金基金の設置、共同事業委員会の設置、商品取引受託債務補償基金協会の設置等で全協連の体質強化と業界の体制整備が進む。

【第2次調整期】(昭和51年~55年)
(1)毛糸等既上場商品の「上場廃止論」が沸騰する一方で、合板、豚肉、大豆三品、金等の新しい商品の取引所設置気運が台頭。
(2)金ブラック市場が社会問題化する中で、内閣法務局が商品取引所法第8条の解釈を変更(55.4.26)、ブラック的私設市場が野放しとなり、先物取引の混乱が拡大する。
(3)金の私設市場の締め出し気運が高まる中で、期を同じくして香港商品取引所が金を上場(55.8.19)したため、ブラック的金私設市場業者が香港市場関係金業者へと変身。先物取引の混乱が一段と拡大。公設商品取引所の出来高が停滞。
(4)金の私設市場・香港関係金業者の悪質取引一掃を目指し、商品取引所法に基づく公設の金取引所設置気運が高まる。

【本格的構造改善期】(昭和56年~60年)
(1)待望の金新規上場が実現(57.3.23東京金取引所開所)し、先物取引新時代への認識が高まる。
(2)金の上場を契機に、主務省の行政も、従来の不拡大姿勢から積極的育成姿勢へと転換。併せて本格的構造改革へと動き出す。
(3)国際化の進展と先物取引新時代の認識の高揚で、公設商品先物市場の整備(取引所の統合合併等が進行し始める)
(4)金、銀、白金の上場により私設市場取引が後退、また「海外先物取引受託法」の制定(58.1.15施行)により、香港等海外商品先物市場に係る先物取引が、それぞれ後退し始める。

【参考】全国商品取引員協会連合会(全協連=現在の日本商品先物取引協会)発行の「全協連20年のあゆみ」から抜粋、一部数字等を手直ししました。

東穀取の引っ越し作業が大詰め

多数の貴重な資料も廃棄に

3月に新事務所に移転する東京穀物商品取引所の引っ越し準備が、大詰めを迎えている。3月14日から新事務所で業務開始となるが、現事務所は引っ越し業者が慌しく出入りして作業を進めており、2機あるエレベーターも中々すぐには乗れない状態だ。通常のビル移転作業に見られるように、エレベーターの内部には傷防止用の資材が貼られているが、どうせ建物を取り壊すんだから無駄に思えてくる。

格調高い1階のホールは段ボール置き場と化しているが、その量も凄まじい。新事務所は普通の商業ビルで、2フロアを借りるだけなので、現在よりもかなり手狭になる。そのあおりを食って、一般紙と業界紙の記者クラブ室も消滅することになった。

前述の段ボールもすべて新事務所に運ぶのではなく、脇を見ると「溶解」と書かれた紙が貼ってある。
東穀取は戦後の商品先物取引を牽引してきた中心部であり、資料室にはかなり貴重と見受けられるものもズラズラと並んでいるが、最低限必要な分を取り除いて他はすべて処分するという。極めて惜しいことで、先日頼み込んで50~60冊ほどもらってきた。しかしまだまだ貴重な資料は眠っており、どうにか活用する方法はないものかと思案するが、結局どうにもならない。

もったいないと言えば、この建物を取り壊すのが一番惜しまれることであり、業者側に何の説明もなく勝手に売り払った取引所経営陣には、業界内から非難の声が上がっている。

東穀取に入っていた委託者保護基金も、3月から人形町の商業ビルで業務を開始する。かつて全国商品取引所連合会(解散)や日本商品清算機構(JCCH)が入っていたビルで、3日には事務所のお披露目会が開かれる。

3月適用のSPANパラメーターを発表

商品間スプレッドの割引対象に2組追加

日本商品清算機構(JCCH)は22日、3月適用分のSPANパラメーターを発表した。

国内上場の26商品中、プライススキャンレンジ(単一商品の単一限月取引において1単位の買い又は売りを建てた場合の証拠金額、以下Pレンジ)については上昇=5、下落=12、変わらず=9となった。
商品内スプレッド割増額については、上昇=12、下落=6、変わらず=8。
納会月割増額は、上昇(追加適用)=4、下落(適用除外)=4、変わらず=18。
商品間スプレッド割引の対象となる組み合わせは、2月の14組に2組(ガソリンと中京灯油、ガソリンと軽油)を追加した。

主要商品のPレンジを見ると、
・金は9万円が7万2000円に
・白金は5万7000円が4万8000円に
・ゴムは7万5000円が9万5000円に
・トウモロコシは4万4000円が5万円に
・一般大豆は1万7000円が1万3000円に

それぞれ変更した。

なお、金ミニに係るSPANパラメーターは金の10分の1、白金ミニでは白金の5分の1とする。

TOCOM NEXTの商品設計を見直し

流動性向上狙い、限月制へ移行

東京工業品取引所は18日、日経・東工取商品指数先物取引(TOCOM NEXT)の商品設計を見直すと発表した。昨年3月の上場以来、市場価格と決済価格の乖離が顕著になっており、市場流動性が著しく低下しているため。

現状の限日取引を限月取引に移行し、最終決済日にすべての建玉を理論値で決済することにより、市場価格と理論値の乖離を解消し追証やロスカット発動が起こりやすい状況を解消する狙い。

具体的には5月2日に新甫発会する2012年3月限から限月取引に移行する。現状の限日取引の建玉については来年の2月29日をもって未決済のすべての建玉が同日の帳入値段で自動決済される。

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