2010年06月先 物 新 報

先 物 新 報

商品先物業界の専門紙記者が、業界ニュースを中心に関連情報をお届けします。
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商品先物業者が全滅の危機に(1)

勧誘余地を残す商品とは?

従来の商品取引所法に海外先物取引と商品CFDにまで適用範囲を広げた新法「商品先物取引法」についての政省令案が、来月に公布される見通しである。

商品先物取引や海外先物及びCFD業者が最も注目している部分が、

・昨年6月の経済産業委員会で議論された「初期の投資額を上回る損失が発生する可能性のある取引」について、原則不招請勧誘の禁止(客側からのアクションがなければ一切勧誘不可)が適用されるが、“勧誘の余地”を残す商品を設計できるのか
・参入要件に経過措置を設けるのか

の2点である。

前者については、当時与党だった自民党が民主党の突き上げを喰らい新法が廃案になる可能性もあったところ、上記の不招請勧誘の禁止措置を付帯決議に盛り込むことで手打ちした。経産省の担当課と業界関係者が水面下で調整し、どうにか新法を通した経緯がある。こうした強引な行為について業界内での反応は様々で、「あんなものは廃案でよかった」という声も密かに聞かれる。

なぜ新法を成立させなければいけないか、俗的な言い方をすれば役人の出世のためである。通常エリート官僚は各部署に課長級で着任し3~4年ほど担当してから他に移っていく。その際形式的にでも仕事をしたという「証明」が必要になると言われる。一例として、業界は違うが文科省による教育課程の変更がそれにあたる。教育課程の変更は数年に一度行われるが、そうでもしないと文科省の役人は何もしないと言われ、人員の定数や予算が削られる可能性があるから何か実績を残さなくてはいけないわけである。その結果、教師はその度に対応しなければならず、現場は混乱する。

今回も法案を通した農水・経産省の担当課長は、すぐにシャンシャンと出世して他部署へ移った。その後に来る後任担当者も当然業界に明るいはずがなく、本人もさぞ貧乏くじを引いたと思っているに違いない。

いずれにしても、商品先物取引はFXと違い黙っていても客が来るというものではないので、どうしても何かしらの勧誘行為は継続させていかなければならない。もちろんかつてのような非人道的な引っ張り込みなどは論外だが、そうした会社は役所が長期営業停止などのペナルティーを科してほぼすべてつぶした。

問題は残ったまっとうな商品先物業者を、いかにつぶさないようにするかという措置を業界あげて考えなければならないが、行政側が相も変わらず“業者悪”の観点でしかモノを見ないため、各社とも経営環境が相当な危険水域にまで達している。少なくとも経営に希望が持てるような環境に変えていかなければいけないが、現在のままでは業者と業界に未来はない。

続きは次回に。

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先物取引市場の歴史・東京編 (1)

東京米穀取引所の誕生

東京米穀商品取引所の起源は、現在東京穀物商品取引所のある日本橋蛎殻町に設立された「中外商行会社」にまで遡る。明治7年(1874)8月、林麒一郎ら3名が発起人となり、米の先物取引を行いたいと政府に申請した。政府はこれを容認し、米の限月売買が開始された。

これに先立ち設立された貿易商社は明治4年(1871)年兜町に移転し、東京商社と改称して、現在の東京証券取引所が建つ場所で米穀の先物取引を行っていたが、鎧河岸をはさんで両社が対峙する形となったのである。
東京商社は三井、小野、島田の三豪商を始め富商を網羅した組織であったので、これと比較して中外商行会社は規模的に見劣りしたかもしれないが、営業面では東京商社よりも好成績を上げていた。

明治9年(1876)8月、米商会所条例が発布され、東京商社は東京兜町米商会所に、中外商行会社は東京蠣殻町米商会所に再編され、10月から各々取引を開始した。兜町米商会所の初代頭取には三井高朗が就いたが、実際の運営には副頭取の竹中邦香があたっていた。また、蠣殻町米商会所の頭取には川上助八郎が就いたが、実力は副頭取の米倉一平が上回っていた。

両社の営業実績については「着実なる商は兜町にあれども活発なる取引は蠣殻町の方なりとて各々相応に繁昌し蠣殻町の会所は株主に向けて年4割に当たる程の利益配当をなし、兜町の会所とても年2割5分を下らざりき」(明治21年8月1日、東京日日)と報道されている。

明治16年(1883)、両会所は鎧河岸をはさんで営業することはお互いの利益にならないとして合併の機運が起こり、同年5月政府の許可を経て合併した。その際名称を東京米会所と改めた。

明治20年(1887)5月、取引所条例が発布された。この条例は通称「ブールス条例」と呼ばれたものだが、ヨーロッパの制度を直訳的に導入した色彩が濃く、それを日本の取引所に適用しようとしたため、当時の日本の取引には適さないとして業界の強い反対にあい、実施には至らなかった。その後明治26年(1893)3月、米会所条例とブールス条例の2つを総合して商品及び株式の両方を包括した「取引所法」が発布された。

東京米商会所はこれにより東京米穀取引所に再編成され、営業を継承することとし10月1日に開業した。(続く)

【引用】東京穀物商品取引所資料

《速報》東工取以外の3取引所に解散要求も

再来週にも各取引所に通達へ

商品先物取引の振興団体である日本商品先物振興協会(先物協会)は23日に会員懇談代表者(商品先物会社の経営者)懇談会を開催し、現在国内に4カ所ある商品先物取引所について、東京工業品取引所以外の3取引所に解散を求める方針を発表した。

これは16日に行われた先物協会の総会で、会員の意見交換として上がった提案をより具体化するために開いたもの。

日本の商品先物取引はこの数年出来高の低下が止まらず市場が縮小し続けており、同日は出席した会員代表者のほとんどが「取引所の維持より市場の存続が重要」との考えで、早ければ再来週にも各取引所や農水・経産両主務省に通達する。

先物協会は昨今の出来高低下を受け昨年2月にも各取引所に対し「取引所再編」についての提言書を送付したが、各取引所ともそれぞれ独自で経営基盤の回復にあたると回答しており、今回の通達はかなり強めの要望となる見通しである。

《速報》東工取、「中京石油市場」上場申請を7月1日に

10月12日の取引開始に向け準備を

東京工業品取引所(東工取)は23日、来年1月に解散する見通しの中部大阪商品取引所(中大取)の商品設計を引き継ぐ新たな石油市場について、7月1日に監督官庁である経済産業省に申請する意向を明らかにした。名称は「中京石油市場」で今後は認可取得を前提に10月12日の取引開始を目指して準備作業に入る。東工取は現行でも石油市場を上場しており、中京石油市場の上場後は同一取引所で2つの同一商品市場が誕生することになる。

中大取の石油市場は取引及び受渡単位が10キロリットルと東工取に比べて小口化されており、中京地区の石油業者が現物受渡しを中心に利用している。当初商品設計を一本化する構想も選択肢にあったが、業者の市場利用が多い現状を勘案し、別市場として継続させることにした。

《速報》東工取、大証との経営統合を完全否定

今朝の一部報道、東工取社長は「完全な誤報」

本日、大阪証券取引所(大証)が東京工業品取引所(東工取)との経営統合を打診する方針を固め、近く両首脳による会談が行われるという一部報道について、東工取側は完全否定した。

報道によると、大証側は水面下で自身の監督官庁である金融庁や東工取を所管する経済産業省とも協議を進め、東工取側にも大証の意向は伝わっているとされるが、東工取の江崎格社長は23日の記者会見で「そんな話をしたことはなく、完全な誤報」と述べた。

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