2010年02月先 物 新 報

先 物 新 報

商品先物業界の専門紙記者が、業界ニュースを中心に関連情報をお届けします。
TOP > ARCHIVE - 2010年02月
 |  | Prev »

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本の商品先物取引所と上場商品

証券取引が東京証券取引所や大阪証券取引所等を通じて行われるように、商品先物取引も取引所を通じて行われる。
現在国内には東京穀物商品取引所、東京工業品取引所、中部大阪商品取引所、関西商品取引所と4つの取引所があり、様々な商品が上場され、取引が行われている。

東京穀物商品取引所では、トウモロコシ、大豆、小豆、粗糖、アラビカコーヒーなどが上場され、取引されている。
東京工業品取引所では金、銀、白金、パラジウム、ガソリン、灯油、原油、ゴムなどが上場され、取引されている。
この両取引所で国内におけるほぼ90%の取引が行われている。

かつては江戸時代のコメにはじまり、明治以降は産業を反映して綿花、綿糸、綿布の綿三品の先物取引が行われ、戦後はゴム、毛糸などが加わり、近年は金、白金、ガソリンなどの工業品が追加された。

商品先物取引は産業に深く関わっているため、国によって取引されている商品が異なる。
例えば米国では小麦や綿花、ココア、生牛、冷凍オレンジジュースなど日本にないものもかなり多い。
英国では鉛や亜鉛、銅など非鉄金属の取引量が多い。

現在の日本では金の取引が圧倒的に多く、金だけで全体の40%以上を占める。だが小豆や粗糖などは値動きが荒っぽく玄人に好まれる商品で、根強いファンがついている。
初心者がいきなり儲けるのは難しいが、相場の真髄を味わえる商品と言える。

スポンサーサイト

商品先物取引の誕生(米国編)

大坂堂島に世界初の先物取引所「堂島米会所」が公設されたのは、1730年(享保15年)のこと。
その後100年ほど経った1848年、米国シカゴでシカゴ商品取引所(CBОT)が誕生した。

時は1830年代の西部開拓時代、中西部の穀倉地帯では大量の小麦が生産され、販売のために人が一カ所に集まるようになり、自然と市場が形成されていった。
当時の穀物価格は収穫期と端境期の差が激しく、15倍もの開きがあった。収穫期には農民が換金のためにいっせいに売りに出すため価格は暴落し、端境期には極端に品物が不足し暴騰するからである。
こうした状況を何とかしようと、農民や穀物業者をはじめ倉庫業者や製パン業者、金融業者などが集まり、年間を通じて安定した価格で販売・購入できる取引システムについて話し合った。

この結果、互いに信頼できる相手を限定し、売り手と買い手が収穫前に1カ月先、2カ月先、3カ月先……とそれぞれの時期について“現時点で”先の価格を決めて先渡し契約(事前販売契約)を結び、約束の期日が来たら売り手は事前契約の値段で引き渡すというシステムが完成した。これにより買い手は必要な量の穀物を安定した価格で確保でき、経営の安定をもたらした。

しかし現物価格の値動きがあまりに契約の値段と離れてしまった時など、先渡し契約が守られないケースも出始め、1848年に取引所を設立して違約が発生しないよう保証金制度などを導入して取引の正常化を図った。
その後も何度か先物取引のルールを見直して改良を行ったが、これについては堂島米会所の帳合米取引(現物受渡しがない帳簿上の差引き計算による差金決済取引)が参考にされた。

現在シカゴ商品取引所は農産物を扱う世界有数の先物取引所となり、トウモロコシや小麦、大豆、コメなどが活発に取引されている。

商品先物取引の誕生(大坂堂島編)

日本の先物取引のはじまり
商品先物取引は1730年(享保15年)、大坂堂島で誕生した。

時は江戸時代、当時はコメのやり取りで経済が成り立っていたコメ本位制であり、大名の収入も領内で採れるコメの数量で表し家臣の武士も基本的にコメで給与が払われていた。大名は米納の年貢のうち自分で消費する分と家臣達への給与分を除いた残りを販売し、藩財政に充てていた。

コメの販売において各地の大名は、大量かつ安定的に販売できる大坂にコメを運び、保管場所として蔵屋敷を建て管理・販売を行った。当時、大坂には全国から2百万石ものコメが運ばれてきた。
販売は各藩が許可した問屋による指名入札制で、落札すると3分の1の敷銀(手付金)を掛屋(両替商)に払い、銀切手(米手形)を受け取った後30日以内に残金をそえて町人蔵元(米屋)に届けると米切手が渡され、最後に米切手を蔵屋敷に持参して額面どおりのコメを受け取るという流れになっていた。

当初は米切手と実物米を交換した後、市中で売買していたが、米俵は重くて壊れやすく、かさばるために切手のままで取引するほうが便利だということになり、蔵屋敷に近い北浜の表通りにはコメ商人が集まり次第に取引が活発化したことから、「淀屋米市」と呼ばれるようになった。

この時代、コメ商人たちの最大の悩みは米価の変動であった。仕入れ前にコメの値段が上がると利益が減少するし、逆に安いと思って買った値段からさらにコメが値下がりしていけば、それも商人にとっては損になる。上方商人たちはそうした悩みを解決するため「つめかえし」と呼ばれる保険つなぎの手法を編み出した。

これは例えば米価(例:仕入値段=1万9000円、市中価格2万円)が暴落しそうな展開になったとき、コメ商人はまず両替商から米切手を借りて現在の市中価格(2万円)で売ってしまう。しばらくして実際に値段が暴落して仮に市中価格が半値(1万円)になってしまい、この値段で在庫が売れたとする。そうなると1万9000円でコメを仕入れて1万円で売ったので、9000円の損が出る。しかしここで2万円で売った米切手も半値になっているので、1万円で買い戻せる。これを両替商に返却すればこの時点で1万円の利益となり、9000円の損をカバーできる。

一方、逆に米価が3万円まで暴騰した場合は、2万円で売ってしまった米切手を3万円で買い戻さなければならないので1万円の損が出る。だが1万9000円で仕入れたコメも3万円で売れるので、こっちで1万1000円の利益となり、どちらにしてもしっかり保険がかかっている。

しかし米切手のつめかえしは市中価格の代金が丸々必要となるため、コメ商人にとってかなりの負担が生じた。
だが米市には値段が上がると見込んで買う人と、下がると見込んで売る人がいる。
コメ商人たちはこれを利用し、次に米切手を介入させない取引を試みた。

まず取引の基準にする米切手の銘柄を決める。コメが値上がりすると思う人は架空の米切手を買ったことにし、値下がりすると思う人は架空の米切手を売ったことにする。これらはすべて帳面上で行い、値動きを見ながら、買っている人は転売し、売った人は買い戻したことにして実際の値動きの差額を精算すれば、つめかえしと同様の効果が得られる。

これは現物を伴わないカラ売買だが、値動きは実物米そのものなので現実に即した値段に収斂される。
問題は米屋だけの取引だと売り買いどちらかに偏りやすいので売買の成立がしにくくなるというケースが発生することだが、米切手が介入しないため誰でも自由に参加が可能であり、商人と消費者両方が関わって形成された米価なので公正な価格と位置づけられ、国内の基準値として全国に広まった。

これが先物取引の原形である。
途中、幕府による規制など諸々の苦難を乗り越え、1730年8月15日に南町奉行大岡越前守忠相の名で「堂島米会所」は正式に認められた。以後、先物取引が世界各地で誕生する。

(参考文献:「商品先物こばなし DОJIMAショート・ショート」島実蔵著)

東穀取のシステム問題

日本の商品先物取引は、現在ザラバ取引(複数約定方式)と板寄せ取引(単一約定方式)の二種類が混在している。

世界的な潮流はザラバ取引が国際ルールと言われているが、日本の農産物取引は未だに板寄せが主流となっている。
これについては、ザラバと板寄せのどちらが優れているかという単純な見方はできない。

しかし現在日本の商品先物取引をザラバ取引にシフトしようという動きが進んでおり、各取引所の取引システムを共通化しようという動きが進んでいる。具体的には昨年約90億円の費用をかけて導入した、東京工業品取引所のシステムに東京穀物商品取引所がシステムの共同利用を申し入れている段階である。

だが東工取としてはもちろん無料で使わせるわけにはいかず、応分の負担を要求している。これに対し東穀取は現在財政的に火の車となっており、先方が要求する30億円を工面することは不可能である。

現在使っている取引システムは5年ごとの更新契約であり、今年期限を迎えるので使えるリミットが迫っている。
今後東穀取はどうするのか、対応が注目される。

500万円が85億円に

某商品先物会社の仮想取引グランプリで、千葉県の主婦が優勝し賞品のプリウスを獲得した。
仮想元本500万円を3カ月で85億円にし、1700倍のリターンを得た。

株式投資の経験は多少あったとのことだが、商品先物取引の経験はなく練習のつもり参加したという。

あくまで仮想サイトなので厳密にいえば建玉制限もなく実際の取引とは若干勝手が違うが、値段は実際のものを用いているので、もし同じように運用していたらほぼ近いパフォーマンスが得られたはずである。

ちなみに銘柄は粗糖1本で、年末にかけて暴騰したのが追い風になった模様。
粗糖や小豆は商品先物取引の中でも上級者向けの商品といえるが、多くの相場師がこれほどエキサイティングな商品もないと口を揃える。下手に手を出すと大火傷をするが、これこそ商品先物の醍醐味と言えるだろう。
過去の記事 >>